義士銘々傳


義士名お役目石高行年時世の句、人物など
浅野 内匠頭 播州赤穂城主 53500 35 風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残を如何にとやせん
大石 内蔵助 家老 1500 45 あら楽し思いははるゝ身はすつる 浮世の月にかゝる雲なし
吉田忠左衛門 郡奉行 200 63 君がため思いぞつもる白雪を 散すは今朝のみねの松風
原 惣右衛門 足軽頭 300 56 かねてより君と母とにしらせんと
 人よりさきに死出のやまみち
片岡源五右衛門 側用人 300 37 主君と最後の決別をゆるされ遺言を託された
間瀬 久太夫 大目付 200 63 内蔵助相談役四人衆の一人
小野寺 十内 京都留守居役 150 61 我が罪は人の菩提にまさるとも なにとあらしにまがふ山風
間 喜兵衛 吟味奉行馬廻 100 69 草枕むすぶかり寝の夢さめて 常世にかへる春のあけぼの
磯貝十郎左衛門 側用人 物頭 150 25 討入時吉良家の家人に蝋燭を出させ火を点じて浪士の活動を
容易にした
堀部 弥兵衛 江戸留守居役 0 77 雪はれて心にかなふ朝かな
近松 勘六 馬廻 250 34 討ち入り時泉水に落ちた士
富森助左衛門 馬廻 御使役 200 34 先立ちし人もありけり今日の日を終に旅路の思い出にして
潮田 又之丞 馬廻 200 35 武士の道とばかりを一すぢに 思い立ちぬる死出の旅路を
早水 藤左衛門 馬廻 150 40 凶変時早打ちを以て第1報を赤穂にもたらした弓の達人
赤埴 源蔵 馬廻 200 35 妹婿宅での「赤垣源蔵徳利の別れ」で有名 /td>
奥田 孫太夫 武器奉行馬廻 150 57 堀部安兵衛と交があり、行動を共にした
矢田五郎右衛門 馬廻 150 29
大石瀬左衛門 武具役馬廻 150 27 凶変の夜の第二報を5昼夜を以って赤穂にもたらした
大石 主税 部屋住 0 16 内蔵助長男
 極楽の道は一すじ 君と共に阿弥陀をそへて四十八人
堀部 安兵衛 馬廻 200 34 中山安兵衛の時の高田の馬場の果し合いは有名
中村 勘助 祐筆 馬廻 100 45
菅谷 半之丞 馬廻 代官 100 44 不男、吃、跛の三具足の士
不破数右衛門 浜辺奉行馬廻 200 34 失態を犯し閉門、後にお暇となったが主君の墓前において
帰参を許された
木村岡右衛門 御絵図役馬廻 150 46 思いきれや我武夫の道ならでかゝる御法のえんにあふとは
千馬三郎兵衛 馬廻 100 51
岡野金右衛門 物頭 200 24 吉良屋敷の絵図面を入手
貝賀弥左衛門 中小姓郡奉行 十両二石 54
大高 源五 腰物方 25人扶持 32 12月14日の茶会を探知した功労者
討入りの前  何のさの巌をもとうす桑の弓
泉岳寺にて  山をさくちからも折れて松の雪
辞世      梅で呑む茶屋もあるべし死出の山
岡島八十右衛門 勘定方中小姓 20石5人扶持 38 赤穂城開場前藩庫金の分配を担当
吉田沢右衛門 部屋住 0 29 吉田忠左衛門嫡男
武林 唯七 中小姓 10両3人扶持 32 辞世 仕合せや死出の旅路は花盛り
討入り時吉良上野介に初太刀をつ付け、切腹時には介錯人の
打ち損じに、威儀を正し、「お静かに」とたしなめた。
倉橋 伝助 扶持奉行 20石5人扶持 34
村松 喜兵衛 扶持方奉行 20石5人扶持 62 命にもかへぬ一つをうしなはば逃隠れてもここを遁れん
杉野 十平治 中小姓 7両3人扶持 28 赤穂藩の富豪の縁者で私財を軍用金に提供した
勝田新左衛門 不明 15石3人扶持 24
前原 伊助 金奉行中小姓 10石3人扶持 40 米屋五兵衛として敵状を探る 「赤穂盟伝」を著す
毛利邸にて 春来んとさしもしらじな年月の
ふりゆくものは人の白髪
間 新六 部屋住 0 24 間 喜兵衛の次男
小野寺幸右衛門 部屋住 0 28 今朝もはやいふ言の葉もなかりけり
 なにのためとて露むすぶらん
間 十次郎 部屋住 0 26 間喜兵衛の長男 討入りでは上野介に初槍をつけ、
首級を挙げた
奥田定右衛門 部屋住 0 26 奥田孫太夫の養子
矢頭右衛門七 部屋住 0 18 父矢頭長助は病の床から自らの腹巻を示し、
身につけて2人分の働きをする様に云い残した
村松三太夫 部屋住 0 37 三太夫の一刀の手入れをした研師竹屋が浪士の中に
三太夫を見つけ素足で追いかけて祝ったといわれる
間瀬 孫九郎 部屋住 0 23 引き揚げの途中米屋の倅が孫九郎を慕って取り
すがる様を見て、袖印をもぎ取って小児に与えたという
茅野 和助 徒士横目 5両3人扶持 37 天地の外はあらじな千種だに
     もと咲野辺にかかると思えば
横川 勘平 焔硝蔵奉行 5両3人扶持 37 大高源吾と共に12月14日の茶会を探りあてた
三村次郎左衛門 台所小役人 15両3人扶持 37
神崎 与五郎 徒士横目 5両3人扶持 38 東下りで馬子に対して詫び証文を書いたという伝説がある
梓弓春ちかければ籠手の上の雪をも花のふぶきとゆ見ん
寺坂吉右衛門 足軽 83 吉田忠左衛門組内に属する足軽で、引き上げ途中内蔵助の
命により討入りを関係者へ報告するため他の浪士とは行動
を別にした